『ワークライフバランス』という言葉の違和感

 

『ワークライフバランス』という言葉がありますね。

 仕事とプライベート、うまく両立させて、、、という概念のようで、多くの人がこういうことを考えてみたことはあるんじゃないでしょうか。

私も、いつも仕事のこと、それ以外のこと、いろいろと考えてみますが、“ワーク” と “ライフ” の バランス、というこの言葉にすごく違和感を感じていて、何か誤解を生みそうな気もしています。

 ここでは、その違和感について説明してみたいと思います。

目次

ワークライフバランスとは

『ワーク・ライフ・バランス(英: work–life balance)とは、

「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」

ことを指す』(Wikipedia より)

と、いうことらしいです。わりと新しい概念かと思うと、そうでもないようで、かなり昔からある言葉のようです。

『2007年(平成19年)12月18日、政府、地方公共団体、経済界、労働界の合意により、「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」が策定され[9]、現在、官民を挙げて様々な取組が進められている。』(これもWikipediaより)

とあるので、日本でも10年以上前から注目されていたようです。

違和感の原因

 ワークとライフって、天秤にかけるもの?
そこに、以前から違和感を感じています。

と、いうのは、『仕事と生活の調和』ということで、ワーク=仕事、ライフ=生活 と訳されていますが、そもそもワークもライフの一部じゃないですか? それを同じ天秤に乗せて比較? という違和感。

 例えば、ペットを飼うなら犬派か?猫派か?みたいな論争?というか会話ネタのようなのがよくありますが、これになぞらえると、ワークライフバランスは、犬派か?動物派か?って訊かれているようで、気持ち悪さを感じてしまいます。

 だから、この場合の『ライフ』は、『仕事以外の生活時間』と捉えるべきなんでしょうね。

でも、それが違和感の原因になっています。仕事は自分の生活とは別のもの、という設定。

仕事している時間は自分のものではない、他人(組織)の時間を生きている、みたいな感覚が普通ですか?


 この表現には、そういう認識が前提にあるようで、私としては受け入れ難いのです。

仕事もプライベートも自分のもの

『ワークライフバランス』という言葉、働き方改革関連法が施行された2018年くらいから、連動してよく耳にするようになりました。

 働きかたを見直して、仕事以外の部分とのバランスをとって、生活を充実させよう、ということでつながるのはわかります。

もちろん、生活を充実させることは大事なことだし、多くの人が仕事に追われて自分のやりたいことに時間を費やす余裕が無くなったり、病気になってしまったりすることは避けないといけないと思います。

 いまそのことが声高に叫ばれていますが、長時間労働が最大の問題だ、と言って強制的に労働時間を管理・制限して強引に仕事以外の時間を作ったとしても、生活の充実になりますか?そういうことじゃないと思います。

 そもそも、仕事は生活と別モノ、という前提を変えないと本質的には変わらないと思います。

仕事は生活の手段です。体を休めるために睡眠をとる。体に栄養を与えるために食事をとる。心を満たすために趣味などに興じる。

それと同じように、経済的にも人格的にも満たされるために仕事をする。

と、いうふうにこれらが同格で並んで良いと思います。

前提をそのように変えてから考え、構築していかないと、結局、形式的なことで終わってしまいそうに思えます。

『公私混同』も同じ。『公』って何?

 似たような言葉で、『公私混同』にも同じような違和感を感じます。

 もちろん意味はわかります。そして、これはかなりのNG行為として批判されますね。

仕事中に私的な電話をかけたりネットを使ったり、会社の経費や備品を私的な目的に使用したり、そういうことは当然許されることではないでしょう。

 でも、なんか仕事を『公』と表現することにどうしても違和感があります。政治家でも公務員でもない普通の仕事だとしたら、それは全部『私』なんじゃないかと。

こう言うとヘリクツのようですが、この表現にはやっぱり、仕事は自分の生活とは別のもの、という先ほど言ったような認識が前提になっているように思えます。

 だから、公私混同というより、『公』の部分に『私』が入るのを極端に悪だとみなす。『公』である仕事の時間に、『私』事をちょっとでも持ち込んだら厳しく注意されます。

その逆はそれほど厳密にチェックされませんでしたね。会社から出た後にお客さんから電話が掛かってきて、それを取ったら厳しく叱られる、というのはありませんでしたね。

でも、最近では働き方改革を推進するからか、業務時間外に業務時間外の業務対応についてもチェックされるようになった会社もあるようです。

ちょっと余談ですが、少し前に知り合いが、会社から『外出先や自宅で時間外にメール対応をした場合、送信メールはタイマー設定して、時間内に送信されるようにすること』という指示を受けている、というのを聞いたことがあります。

完全に、労基対応で形式だけ改革しているように見せかける、一番ダメな典型例ですね。

本当の『バランス』を考えよう

 仕事と私生活は別、という前提だから、キッチリ線を引かないといけない、という発想になると思うのですが、所詮ムリな話だと思います。

 もちろん、仕事の時間は、それに対して対価を得ているので、自分の好きなように振舞うわけにはいかないし、与えられた業務はこなし成果を出さないといけません。会社のものを私的に流用するなどあってはいけないことです。


でも、ひとりの人がずっと継続して生活している中に仕事の時間もあるので、厳密に線を引くのは不可能でしょう。多少の融通を利かせて、うまく折り合いをつけるしかないと思います。

 それがどんどん厳格化する方向に進んでいる気がします。もっと厳密に仕事とプライベートを分けないといけないような風潮になっていませんか?

それだと、本来の目的である生活、人生を充実させる、というところから遠ざかっていくように思えます。

 しかし、コロナ禍でテレワークが勧められ、仕事と私生活の線を引きにくい環境になった人も少なくないと思います。

これは、仕事とプライベートの線の引きかた、折り合いのつけかたを考える良い機会だったんじゃないかと思います。

 以前、会社で私用の携帯電話を充電して問題になった、という話をどこかで聞いたことがありますが、こういうことを厳密に規定し出すと、テレワーク中に自宅で業務用の携帯電話を充電したら、電気代を会社に請求しないといけなくなります。

現実的ではないですよね。。。

 ちょっと極端な例ですが、とにかくこれを機に、うまく折り合いをつけるのがお互いにとって良い、ということに気づいて欲しいと思います。

 うまく折り合いをつけ融通を利かせることで本人の自由度が高まれば、時間的にも精神的にも余裕が出てくるでしょう。

それによって仕事の生産性が上がれば会社にとってもプラスになります。

すべては生活の充実に向けて

 そうやって、お互いにプラスになる方法を考えてみませんか?

 そのためにはまず、“仕事は私生活とは別格”という認識をやめませんか?本当の意味でのバランスの取れた生活スタイルは何か、というのを見直すべきではないかと思います。

 そもそも(一般的に認知されている意味での)『ワーク』は『ライフ』の一部で、『公』と『私』は混同、混在しているもの。

キレイに切り離すことなんかムリなので、うまく自分の生活の中に融合させることを意識するほうが良いと思います。

 生活、人生を充実させる、というのがすべての人の目標で幸せだと思います。

その手段としてどうするのが一番良いのか、一回いろんな線引きを取っ払ってみてフラットな状態で考えてみてはどうでしょうか?

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