何か欲しいものがあるとき、同じようなものでも値段が高いものや安いものがあって、どのくらいの価格のものが良いのか、どれを買うべきなのか、迷うことはありますよね?
逆に、自分で事業や商売をやっている人は、自分が提供する商品やサービスをどのくらいの価格にすれば良いのか、迷うことがあるんじゃないでしょうか?
ここでは、そんなときにの考え方を、一例として紹介したいと思います。
価値は常に一定じゃない
モノやサービスに見合った価格を設定するのが当然だとは思いますが、そもそも、モノの価値ってなんでしょうね。同じモノでも、場所や状況によって値段が違うこと、よくありますね。
例えば、コロナが蔓延しだしたころ、それまではハコに何十枚か入って数百円とか、そういう値段だったと思います。
それが、全国的に品数が足りなくなって入手が難しくなった途端に、数枚で数千円とかいう価格で売り出されるような状況がありました。
それでも買う人はいて、さらにどれだけあっても安心できない、と買い占める動きもあったり、これは良い商売になる!と大量に仕入れる人もいたり、それがさらに品薄状態に拍車をかけ、価格はどんどん上がる、といった事態が起こりましたね。
その後、それが少し落ち着いて、なんとなく供給が間に合ってきた雰囲気になると、もうそんな値段で買う人は居なくなって、従来の価格に戻っています。
他にも、人気の商品やチケットなどを買い占めて高値で転売するような行為が問題になっていたりします。
それでも買いたい、という人が居るから、そういうことが横行しているのでしょう。
価格は需要と供給のバランスで決まる
当たり前なのですが、需要と供給のバランスで価格はいくらでも変わりますよね。
ティッシュだって、もしトイレで用を足していて、紙がない!ってなったときにポケットティッシュが100円で売っていたら買うと思います。
でも、外を歩いたらタダで配っていることもあります(これは、広告として配っていて、スポンサーが料金を払っているので厳密にはタダではありませんが、私自身は無料で手に入れることができる、という意味でタダとします)。
そういえば、数年前、私が北京に住んでいたころ、日本から友人が遊びにきたので観光案内をしていました。
そのとき、市内の観光地でリヤカーを引いてアイスキャンディを売っている人が居他のですが、そのときの値段は1本1元(=当時のレートで約16円、現在は価格が変わっているかもしれません)と、ものすごく安いものだったのですが、それほど美味しそうでもないので買いませんでした。
その翌日、万里の長城に観光に行きました。長城に登って、かなりの距離を歩いてヘトヘトになったので、ちょっと休憩していたら、昨日と同じアイスキャンディを売っている人がいました。
歩いて登ったり下ったりして疲れて、喉も乾いているので、それを見たら、食べたくてたまりませんでした。で、買ったのですが、値段は10元でした。
まあ、そこまで運んでくるコストもあるでしょうが、市内価格の10倍です。かなり強気の価格設定です。でも、私としては全くぼったくられた気持ちはありません。
要するに、自分が必要と思うものにはそれ相応のおカネを払うし、必要ないものには払わない。必要度によって払えるおカネ、妥当だと思える値段が違う、ということですね。
自分にとっての価値に見合った価格が見えているか?
でも、普段から本当に自分に必要かどうか、欲しいかどうかを基準にいくら払うか、そこにどれだけのおカネをかけるか、を考えて決めているでしょうか?
『必要かどうか=自分にとっての価値』 だと思いますが、その自分にとっての価値を正当に評価できていないことも少なくないんじゃないかと思います。
例えば、ブランドのバッグとか服とか。
自分で何が良いものなのかの評価・判断ができない場合に、高いもの=良いもの という基準が発動してしまいますね。
でも、そこで一回考えた方が良いと思います。本当に自分にとっての価値とその価格はバランスが取れているのか。コロナ時のマスクを買うようなことになっていないのか。
自分の収入とのバランスもあるので、余裕がある人はあまり考えず無駄遣いしても良いのかもしれませんし、高級ブランド品を身に着けることがステイタスだという人は、そこに価値があるのだから問題ないでしょう。
でも、一回落ち着いて考えた方が良いような買い物をしている人もよく見ます。
逆に、安いものを買うのがお得だ、安ければ安いほど得する、と考える人もいますね。
いまはネットで容易に価格比較できるので、少なくなってきたのかもしれませんが、時間をかけて調査して、安いところを見つけたら、遠くてもそこまで行ってちょっとでも安いものを買って得した!と喜ぶ人。
本当にお得でしょうか。。。?
自分自身の価値、自分の時間の価値を計算しているか?
例えば、ある品物を普段買う近くの店より30分遠くまで行けば、100円安く買える店があるとします。
そこまで行って100円安いものを買って、得した!!と喜ぶ人。
なぜ、自分の時間はタダという前提で考えているんでしょう?
30分遠くまでいくということは、往復で1時間、それを買うという行為にいつもの店で買うより多く費やしているということです。
仮に、その人が時給1,000円で働けるとしたら、1時間往復して100円得したと思っているそのことは、実際には900円の損です。
そうじゃなくても、1時間費やして100円得するとしたら、時給100円の労働です。生産性が低すぎますね。
まあ、これは極端な例ですが、そういうことを平気でやっている、そしてそれを得していると思っている人は結構いるんじゃないでしょうか。
価値から価格を考える
価格と価値を比較したり、妥当かどうか考える際、価格ありきではなく、自分にとってそれがどれほどの価値があるか、どのくらいの必要度なのか、というのを見極めてから、それに見合った価格設定なのか、を考える順番が正しいのでは、と思います。
自分が提供する商品やサービスに値段を付ける場合も然り、です。
もちろん原価を考慮するのは当たり前ですが、そこに付加される価値分の価格を追加しないといけませんよね。
その際、基準になるのは、自分自身の価値、すなわち、自分(や関わる従業員など)がどれくらい頑張って働いてどのくらいの報酬を得ているのか。また、自分の1時間はどのくらいの価値があるのか。
そういうことを普段から意識しておけば、価値と価格を比較的適切に評価できる気がします。
逆に、そうして自分の基準を確立しておかないと、他人の決めた基準になんとなく流されたり騙されたりして、いつの間にかどんどん搾取されてしまうかもしれません。
まとめ
- モノの値段は一定ではない
- 自分にとっての価値に見合った価格を意識する
- 自分の価値も考慮する
- 価格ありきではなく、価値から価格を考える
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